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Sitting on the Spikes (2025)

WxDxH: 91 cm × 61 cm × 179 cm | 3 ft x 2 ft x 5.8 ft

Materials: Fabric, Speaker, Foam board, Room Dividers, Adafruit Feather Proto M0, Music Maker FeatherWing, Audio Amplifier

アメリカに暮らすということは、まるで棘の上に座っているような感覚だった。何かに深く傷つくほどではないけれど、常にどこかに小さな緊張や違和感がある。人種による隔たり、思想の違いから生じる摩擦、政府の政策、そして外国人学生という立場。表面的には安全でも、心から安心して腰を下ろせたと感じる瞬間はほとんどなかった。

 

その棘は、他者の中にあるものでもあり、また自分自身の中にもあった。大学院で出会った友人たちとの対話の中で、それを強く実感したことがある。たとえば、イスラエル出身の友人は、自らはアメリカの平穏の中にいながら、家族が戦火のただ中にいるという現実を語ってくれた。また、イランに多くの家族や友人を持つ友人は、通信や移動が制限される中、遠くからできることを探し続けていた。

 

私は彼らの声に耳を傾けることしかできなかったが、ただ黙ってそばにいる時間には、言葉を超えた深い共感が生まれていた。戦争という、誰にもコントロールできない状況が生み出す痛みと不安。その棘にそっと触れるように、私たちは互いの沈黙に身を寄せていた。

 

そうした経験は、私自身の中にある棘にも目を向けさせた。アメリカで出会った多くの友人が、かつて日本が侵略した地域の出身者だったことに気づいたとき、私は自分が抱えていた歴史観の偏りに愕然とした。日本で育った私の中にあった“当然”は、他者にとっての痛みの記憶と交差するものだった。語り合いを通して、それぞれの立場や記憶に基づく複数の歴史の見え方があることを知り、自分の視野が大きく揺さぶられた。

 

アメリカという、多様な人種や文化が交差する空間に身を置く中で、私は、他者との関係の中に潜む棘の存在に繰り返し触れることになった。それは時に痛みをともないながらも、誰かと共に生きるとはどういうことかを教えてくれるものでもあった。

 

言葉にならない感情が行き交う場面で、私はしばしば「ハグ」という行為に心を動かされる。言語や文化が異なっても、肌と肌が触れる瞬間に伝わるぬくもりには、相手の存在をありのままに認める力があると感じる。「あなたがここにいて、私がここにいる」——そんな静かな確認のようなものが、身体の記憶として残る。ときにそれは、重く沈んだ心をもう一度立ち上がらせる力にもなった。

 

私たちは、棘のような感情の鎧をまといながら、他者からの介入を拒みつつも、心の奥では誰かに触れてほしいと願っているのかもしれない。拒絶と希求、その矛盾が人を形づくっている。そして、私はその「棘」にこそ、他者との関係性の本質があると感じるようになった。

 

こうした経験や気づきは、私の作品に直接的な影響を与えている。柔らかい素材や音を用いた彫刻やインスタレーションは、棘に触れるようにして他者と関わる行為、触れられたくないけれど触れてほしいという矛盾を抱えた心の形を視覚化する試みでもある。鑑賞者が、作品を通して誰かと「共に在る」ことの意味や、沈黙のうちに交わされる感情の往復に触れるような体験を得られたなら、それはこの分断の時代において、つながりの可能性を信じ続けるための、ささやかな灯火となるはずだ。

This work emerged from "spike-like discomfort" I experienced while living in the United States. Through conversations with friends from different countries, I came to realize the pain caused by conflicting memories and perceptions of history, as well as the contradictory desire, which present in both myself and others, to stay connected and to live together despite those differences. 



While carrying a constant sense of tension, I was saved by the warmth found in simple physical gestures, such as a hug. Based on these experiences, this piece employs soft materials and sound in the form of installation. It visualizes the complex emotions of "not wanting to be touched, yet wanting to be touched," and explores the possibilities of connection in an age of division. 



 

I invite you to step into the artwork, take a seat facing the window, and allow yourself to be immersed in this installation.

-2025, ©︎ Sao Ohtake all right reserved

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